2017-08

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≪ 作用反作用の法則を考える 1 ALL A016 無理数と連分数 ≫

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古典力学は破綻したのか?

「古典力学は破綻したのか?」 そう問われると大抵の人は「Yes」と答えるだろう。通常なら、私もその答えに対して鼻息を荒くして反論することはないだろう。なぜなら相対性理論や量子力学によって古典力学が間違った答えを与える例が知られているからである。しかし、今回は鼻息も荒くしつつ記事を書いてみたい。

まず物理では、どんなに美しい理論であろうが我々の世界を正しく記述できなければ「正しい理論」として認められない。また、それが数学的にどんなに厳密に定式化された理論であれ、それ自体が物理的に「正しい理論」であることは証明できない。何故なら、理論を照らし合わせるはずの「我々の世界」について、人間が完全に理解する事はないからである。つまり我々のやっていることは、一応知っている範囲でうまくいく方法を提供しているに過ぎない。そういった意味では、相対性理論や量子論ですら、古典力学と同じ宿命を背負った理論であろう。

こんな事を書いている理由は、「古典力学など間違っているから、全て量子論と相対性理論で説明してくれ」という㌧でもない要求を受けたからだ。古典力学での説明は受け付けないと宣言されたのだ。いやいや、私は相対論や量子論にそこまで詳しくないし、質問の内容から古典論で十分理解できるものだと主張したが話を聞いてもらえなかった。「古典論は間違っている」の一点張りだ。この類の人は、量子力学も相対性理論も極限として古典力学へ帰着するということを理解していない。アインシュタインが相対性理論を作った際に、古典力学との整合性を議論し、また量子力学の誕生後間もなく、エーレンフェストが最重要課題として古典極限の研究に取り組んだのは、理論の有るべき姿として「古典力学を内包するもの」でなければならないという事を理解していたからだ。

またある時は、「大学で古典力学など習う必要がない。直ぐに量子論と相対性理論から教えた方が良い」という意見の人に出会った事もある。いくらなんでもそれは無理であろう。それどころか古典力学は全ての物理の基礎として欠くことはできないものであると、私は思う。何故なら、古典力学は日常的な物理現象の理解に有効であるばかりか、あらゆる科学の模範と成るべき厳格でいて単純な理論構造を持つ。 物理学を志す者が最初に学ぶべき基本である。 基本のないところに積み上げる事ほど危険極まりない行為はない。


量子論の活躍する微小な世界や、高速で飛び交う粒子を扱う相対性理論の領域を除けば古典力学は現代でも”正しい理論”である。正確には近似理論として十分な精度で物事を予言できるというべきだろう。我々の日常における物理現象の多くは量子力学を使うよりも、古典力学を使った方が遥かに簡単に説明できるし、現実問題として量子力学や相対論を使った計算は不可能であるばかりか意味がない場合すらある。自然を記述するミクロな理論を手にしていても、それを以ってマクロな現象を説明するということには未だ大きなギャップが存在し、そのギャップは単なる穴埋め程度のものではなく、それ自身が一つの理論を成す程のものである。

つまり物事には適用範囲というものがあり、物理法則ですら例外ではないというわけだ。「原理的には全ての現象が量子論と相対性理論で説明される」という人もいるだろうが、そんな事は証明もされていなければ、現実的に考えて到底不可能である。大事なのはそれぞれの理論の適用範囲を知って、適切な理論を選ぶ能力である。 使い古された例えだが、「万病に効く薬は存在しない」のだ。

話をきかない質問者にはそれ以前に問題があったかもしれない。


(*)幻影随想さんの所で、関係した記事を見つけたのでリンクしておきます。http://blackshadow.seesaa.net/

コメント

宗教なのか、発見なのか?

アトムさん、自分でやれと言われたひゃまの答えです、コメントお願いします。

結局、相対論は質量の等価原理ありきで論理展開し、
同時に成立しない二つの時間(光と固有)を持ち出して
時空の変換、時空の歪みという宗教(時間の二次元化)ですね。

しかしながら実際に観測されているのは
光の速さ(時間)に対してエネルギーの速度や質量が変化している。
http://prwww.spring8.or.jp/intro_sr/page2_2b.shtml

p=重力質量M・c=慣性質量m・波動速度w

哲学的なことを言っているのではなく、cは光の速さ、pは光の運動量
明らかに論理的に違う次元を混同しているのを指摘すると
一切返事が無くなる(プロも素人も)っていうのは、ある意味宗教と同じではないでしょうか?

実際にない電流の流れと、電荷の移動が逆なことが慣習になっているのとは意味合いが違います。

相対論が宗教で無いなら、これはひゃまの発見でしょうか?
ひゃまは、相対論は論理的におかしいと最初から考えてきたのでそこらへんが判らないんですよね^^;

有難うございました。


指摘の箇所修正しました。有難うございました。

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