2017-07

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≪ 最近思ったこと ALL 直感と論理のはざまで 2 ≫

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直感と論理のはざまで

一夜

数学を理解するためには、数学の言葉を使わなくてはならない。それらは数であり、記号であり、論理である。公理を掲げ、定理を演繹、証明する。公理とは「なぜ?」という疑問に対して答えを諦めざるえない命題であり、定理は公理を受け入れたときに導かれる(=証明)ものである。

一旦証明された定理は、時代が変わろうが揺らぐことがない永遠の命を得る。高々100年という時間で朽ち果ててゆく儚い存在である我々は、公理と論理をつなぎ合わせ定理に永遠の命を吹き込む。とは言っても、実際にそれができるのは数学者であり、我々は彼らを通して新に生まれた永遠の命の名前を聞くのみである。

いや、そのような考えは勝手な思い込みであって、公理を神が与えた真理だとすれば、定理すら宇宙が生まれる遥か昔から存在していた。人間はそれらに名前を付け、まるで自分たちが生み出した物であるかのように誤解しているだけかもしれない。

多少なりとも数学の世界に触れた者、例えば大学において数学の講義を取った人なら、数学者が語る公理や定理の複雑さについて知っているだろう。それらは短い文章で述べられてはいるが、その意味すら容易には理解できない。数学の言葉で述べられた定理は暗号化された秘密文章のようなものだ。

我々はその定理を前に、数と記号が作り出す論理を一つ一つ紐解き、それらを分かりやすい言葉に置き換え、直感と照し合わせてゆく。そして全ての論理ステップが直感と一致した時、そしてその時に限って、我々は心から「わかった」と言えるのではないだろうか。

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