2017-11

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≪ タングラム ALL 難問その1 ≫

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特殊相対論, 光子の質量についてよくある間違い 

特殊相対性理論に関する間違った理解は非常に多い。相対性理論が間違っていると言い張り科学的な議論は受け付けない㌧でもな人は除外するとして、解説書などを読み勉強した人でもいろいろと誤解をしているようだ。これはいったい相対性理論の解説書が間違った説明をしているのか、それとも個人の理解の問題なのか明らかではないのだが、誤解される箇所というのは何時も決まっているようだ。  そこで間違った理解が伝播してゆくのを少しでも防ぐために、典型的な間違いのコレクションを作ることにした。私が気がつく範囲において、ネット上にある典型的な間違いを随時更新してゆこうと思う。ここでは詳しい説明は避け、間違いの箇所を赤色で指摘しておく(時間があれば短いコメントをつけるかもしれない)。これはけっしてあら探しや、他人の間違いを笑いものにしているわけではなく、正しい理解を得るためにやっている事と理解して下さい。

なお私の方の勘違いがありましたら親切に連絡をしてもらえるとありがたいです。その場合には私の間違いもリストに入ってしまうかもしれません。是非避けたいですが....


(1)冷たい水より熱い水の方が、分子の速さが大きくM=M_0/(1-v^2/c^2)^1/2の関係によって、分子の質量は増加します。従って、水は重くなります。[コメント:質量は不変です]

(2)静止していない通常の光は質量を持っていると思います 

(3)光子(光の粒子)には質量はありません。しかし、周波数νに応じてE=hνのエネルギーを持っているため、このエネルギーがE=mc^2に相当する質量を持ちます。  [コメント: 文章が矛盾してます]

(3)光に色はありません。しかし、全ての色の成分(波長)を持っています。。 [コメント: ]

(4)光子の”静止”質量はゼロです。 [コメント:静止質量というものは現代では使わない、誤解の本]

(5)運動エネルギーはE=MV^2で、V=Cがアインシュタインの式です。 [コメント:偶然でしょう。]

(6)はっきり言って、子供相手にE=mc^2をわからせるのは不可能です。

(7).....したがって、その単位系においては、E=m という…(省略)。

返信:デイメンジョンが会わないのをどのようにせつめいしましょうか?

(8)ゲージ粒子は実際に存在するのでしょうか?
ある本によると「仮想粒子」と書かれています。[コメント:本が悪いか、読み間違えのどちらかだと思われます]

(9)相対論では質量は変数です。速さによって質量は変わってきます。  [コメント:静止質量参照]



補足: 質量に関して静止質量と運動質量などと混乱を招く用語を使っている解説は依然として存在ましす。専門家の解説記事でも時にこの言葉を使っている事もあるようです。しかしこの用語は混乱を招き、時にまったく間違った結論さえ導くものです。私のブログではこの言葉は使いません。

私の立場は「質量の定義は一つしかない!」というものです。質量は物質固有のものであり運動していようが静止していようが変わるものではないのです。運動すると変わるのはエネルギーであり、質量ではありません。これを間違うと

「物体を加速すると質量が増える」
「そしてv=Cで質量は無限大になる」
「光子をCまで加速するために無限のエネルギーが注ぎ込まれた」
「つまり光子は無限のエネルギーの源だ」

などとまったくおかしい結論に達します。

静止質量と運動質量を使っている人は誤解を招かないように

×静止質量→ ○質量
×運動質量→ ○エネギー

と正しい表現を使いましょう。

コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

分場の量子論(QBT)

あ、お久しぶりです。
コメント有難うございます。

もう少し、理論として解りやすくまとめてみたいとただ今奮闘中です。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n233229

よろしかったら、コメントください。

Re: 査読雑誌に論文掲載されました。

おめでとうございます。この結果が実験的に確立される日がいち早くおとずれますように。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

量子重力理論について

エネルギーと時間の不確定性は本質でなく
C=fλの光速度不変でみてエネルギーと時間の不確定性は本質でなく、慣性質量と波長の不確定性が本質であり、
hf/C=不変質量M・C=可変質量(Δm)・(Δw)、は量子ゆらぎを吸収する。
しかし相対論のように光速度(C)と波動速度(w)の区別無く常に、C=w=fλ、ではすなわちアインシュタインや質量の等価原理ベースでは、現実とも量子論とも融合できない。

ボーアの反論が物理学的な正当性を欠いていたにもかかわらず、アインシュタインは、途中で論争を放棄してしまう。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/kairo15.htm

ヘルツ振動子tラプラス作用素

MC=mw=mfλ=hf/CのLEPでは、
重力を考慮しない静止(v=0)においてのみ、C=w(無限遠)になり質量の等価原理(M=m)が成り立つ
これがニュートン力学近似における(0→v)において質量x速度の2乗に比例するエネルギーの公式になるが、あくまでも近似である。
C≠wになれば、反比例関係にある慣性質量(m)とコンプトン波長(λ)は、同時に変化する。これがKG方程式のラプラス作用素を量子化してはいけない理由であるが、本来ヘルツ振動子(h)が持ってる機能でありプランク定数が定数であるが由縁である。

ラプラス作用素
すなわち、ラプラス作用素の作用は勾配ベクトル場の発散をとることに相当する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E4%BD%9C%E7%94%A8%E7%B4%A0

Light's equivalence principle, LEP

アトムさん、お元気ですか?
あれからいろいろありまして(EMANさんところは書込み禁止にされたり)研究も進みまして、以下のような論文をオープンジャーナルに投稿し、査読され中です。 ご報告します。 できればコメントくださいねw

基準系である不変質量(重力質量)M・光速度C=d/tと、
観測系である可変質量(慣性質量)m・波動速度w=fλの、
光の運動量による等価原理(Light's equivalence principle, LEP)、|p|=MC=mw、は
局所のランダムなエネルギーの変化と宇宙論的な時空の変容を観察するのに最適な理論である。

量子論は観測理論であるから、E=hf=mCλf=mCwと、相対論の基準値E=MC^2が質量の等価原理が正しいという根拠の無い仮定と合わないのは当然であり、その統合にはこの等価原理で量子ゆらぎも吸収する方法しかありません。

つまり、C≠fλ、v≠fλを当てはめるからおかしくなる物質波と同じです。

さて,物質波について,E=hνの関係が成り立つとするのは誤りではない。v=νBλB(またはc=νBλB)という関係を期待してしまうことが問題なのである。
http://www.keirinkan.com/kori/kori_physics/kori_physics_2_kaitei/contents/ph-2/3-bu/3-2-4.htm

エネルギー

質量とエネルギーの話になっていますが。
波動(電磁波=光)は、質量がなくてもエネルギーを持っていますよね。

アトムさんはコメントされないと思われるのでひゃまがw
全くそのとおりで、運動量pへの封印は根本問題解決になっていません。

その実、重力を考慮しない場合、
E0=m0c^2において移動速度vが変化する場合
E=m0c^2/√(1-β^2)=E0/√(1-β^2)
ローレンツ因子を慣性質量m0に掛け様が光速度c^2に掛け様が同じこと

でも、重力を考慮した場合、
E=m0c^2/√(1-β^2)ではv=cの∞が発生するからおかしくなる
v=√2GM/r(地表の重力ポテンシャル)とすると
地上静止基準のE=m0c^2でもなくなる。
ひゃまの光の物質空間では、
全エネルギーE=m0c^2(w0/w)=m0cw0(c/w)
光波速度w=√(c^2-v^2)、
地表光波速度w0=√(c^2-2GM/r)
(c/w):絶対屈折率、(w0/w):地表相対屈折率

だから重力を考慮しない物理学は物理学じゃないですね。

静止質量と相対論的質量

静止質量についてコメントします。光以外のすべての固体物体は高速でも静止状態を観察できます。液体は無理かも?止まってる固体については、構成分子、原子は熱振動しているので移動はしませんが内部運動量を持っています。単純なn個のM=sqrt[1-(1-(v/c)^2]*Moのエネルギーの集団とします。vの平均値は周期的振動のためにゼロです。Mの大集団であるnMは熱振動していますが静止質量を定義する必要があります。固体全体の静止質量(エネルギー)は移動しないのでnMです。Moの総和と考えてしまってnMoではまちがっています。静止エネルギーとは見かけ上移動しないエネルギーのことです。http:www//miyaji-physics.com/にアクセスしてください。簡明な式で証明しています。相対論的質量は移動する質量で運動量も含んだ全エネルギーです。相対論的質量の定義禁止は無理があると思っています。

ということで、アトムさんの添削をひゃまの理論で見てみます。

(1)冷たい水より熱い水の方が、分子の速さが大きくM=M_0/(1-v^2/c^2)^1/2の関係によって、分子の質量は増加します。従って、水は重くなります。[コメント:質量は不変です]

エネルギーと質量の等価性からいくと、vが変化した理由によります。

(2)静止していない通常の光は質量を持っていると思います
(3)光子(光の粒子)には質量はありません。しかし、周波数νに応じてE=hνのエネルギーを持っているため、このエネルギーがE=mc^2に相当する質量を持ちます。  [コメント: 文章が矛盾してます]
(4)光子の”静止”質量はゼロです。 [コメント:静止質量というものは現代では使わない、誤解の本]

光は質量がありませんが、その振動である光子はエネルギー分の質量があります。 

(5)運動エネルギーはE=MV^2で、V=Cがアインシュタインの式です。 [コメント:偶然でしょう。]

光波はv、光の速度がcです。

(6)はっきり言って、子供相手にE=mc^2をわからせるのは不可能です。

ひゃまの光の物質空間は先入観を受けていない子供の方が理解しやすいです。

(7).....したがって、その単位系においては、E=m という…(省略)。
返信:デイメンジョンが会わないのをどのようにせつめいしましょうか?

mは光のポテンシャルc^2をエネルギーEへつなぐ物質の量です。

(8)ゲージ粒子は実際に存在するのでしょうか?
ある本によると「仮想粒子」と書かれています。[コメント:本が悪いか、読み間違えのどちらかだと思われます]

光が粒子かどうかは分かりません。

(9)相対論では質量は変数です。速さによって質量は変わってきます。  [コメント:静止質量参照]

速さによって質量は変わりません。 
100gの肉に100gの肉を足すようにエネルギーを足すと質量が変わります。
速さは重心点など基準点からの速度変化です。

光波の媒質は光だ

アトムさん、お久しぶりです。
アトムの物理ノートはとても良いのですが、休み中ということで残念です。 前にコメントさせていただいた時から、ひゃまも研究を進めまして、以下のような結論に達しています。
それにしても、今観てもこのアトムさんによる「特殊相対論, 光子の質量についてよくある間違い」は的確ですね。 自分でやれといったアトムさんに感謝しております。
それでは、アトムさんの健康とアトムの物理ノートの再開を陰ながら願っております。

相対論の光速度不変は、地上の2GM/r環境下の観測では重力と慣性力を考慮しなくても誤差の範囲で済むが、重力と慣性力を考慮すると破れているということです。 
実際一般相対論は光速が可変していると捉えても良い訳で、特殊と一般のあわせ技一本(物理は柔道ではない)じゃなく、不変な光の速度cと可変な光波速度vを分け、技有り一本にしようっていう主張です。

ニュートン理論は質量mが一定で、速度vが変われば運動量pが変わりますが、
p=mv・・・質量保存の法則は破れている。

参考:運動の法則(アリストテレス→ニュートン)
http://fnorio.com/0061Newton's_law_of_motion1/Newton's_law_of_motion1.htm

相対論は光速度cが不変で、速度vが変われば相対論的質量mの方が変化しますが、
E=mc^2=m(0)c^2/(√1-v^2/c^2)・・・力学的エネルギー保存則が成り立ってない
そのくせ、m(0)c^2/(√1-v^2/c^2)≒m(0)c^2+mv^2/2は何に対しての近似?

アインシュタイン博士は、相対性理論以前に(ニュートン→アインシュタイン)
光量子仮説から光(light)と、光子(photon)光波(light wave)を混同しています。
参考:補論 14 1905年における光の粒子性と波動性について
http://www10.ocn.ne.jp/~shima/dualism.html

量子論では速度vや質量mは本質ではなく、むしろエネルギーEや運動量pが本質で、
慣性質量のエネルギーに運動エネルギーを足したものを全エネルギーと説明されますが、
E^2=(m(0)c^2)^2+(pc)^2・・・速度vや質量mがなく、もはや力学ではない

参考:アインシュタイン/ボーア論争の勝者?(アインシュタイン→量子論)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/kairo15.htm

宇宙空間は一様ではなく物質の分布によって違います。
参考:宇宙の一様性・等方性
http://astr.phys.saga-u.ac.jp/~funakubo/BAU/chapter6/chapter6-2.html

ひゃまの光の物質空間では、光の速度c^2=空間速度v^2+物質速度w^2

どのような速度vで運動していようが自由落下運動で速度vが、
cの範囲内で幾ら変わろうがEとmは変わらないが、
E = mc^2 = m(v^2 + w^2)・・・相補性によるエネルギーと質量保存

外力が加えられたエネルギーは、Eもmも増えます。
たとえば地上静止状態(m0、2GM/r)からの加速の場合、
E = mc^2 = m(v^2 + w^2) = m0(2GM/r + w^2) + e(加速エネルギー)

2GM/rは第二宇宙速度の重力ポテンシャル、ニュートン力学は第一宇宙速度の軌道速度ですね。
参考:重力と運動 http://www2s.biglobe.ne.jp/~ken-ishi/Gravity.htm

重力は考慮する(一般相対論)考慮しない(特殊相対論)という問題ではなく
★★★重力がなければ基準点も無く速度vもwもないということです。
それが本質的な光の速度c不変の核心です。
それによってEやpやmやvもcという時々の物理量の関係が明確になります。

あながち間違っていないってことですね、自信がつきました。
ありがとうございました。

最近の宇宙は膨張しているとか、本当?って思うんですw
AとBの相対位置が変化しているから?
過去から現在AとBの相対位置が変わらなくても、過去からA,B位置ともに移動したらどうなりますでしょう?
ちょうどDVDのトラックを時間で刻むように、宇宙空間が時間トラックで記録されていたら
なんかどうでしょうか?

ひゃまさんへ

>>時空は一体で考えるべきで、空間を定義しないエネルギーはないんです。

全くおっしゃる通りですね。空間を定義しないでエネルギーもへったくれもないですね。

>>現代科学は、もっと光子の本質的な研究する必要があると思われますがいかがですか?

そうですね。でも、みんなひゃまさんほど深く自然を理解しているわけではないので、
いっそうの事ひゃまさん自身でその分野を開拓した方が良いと思います。今後の発展を
祈っております。

光子が占める空間定数を、ひゃま定数とします。

光子が占める空間定数を、ひゃま定数とします。

光子は振動していても振動していなくても、空間を存在にします。
その光子が振動を伝えるスピードは、30万キロです。
エネルギー量は、振動数 X ブランク(空間)定数です。

ご存知のE=hvの公式を使う限り、当然v_0,E_0の状態も考えられますが、

時空は一体で考えるべきで、空間を定義しないエネルギーはないんです。
それが、相対性理論の片手落ちで、時空は一体って言ってるのにエネルギーだけ定義してしまったんで、量子論と発展し、それをつなげようと場の量子論になっていると思われます。

現代科学は、もっと光子の本質的な研究する必要があると思われますがいかがですか?

7月17日の田中さんへの返事

コメントありがとうございます。

>> それでも運動中の物体の質量が増大するという”概念”は
>>重要で、質量とは静止質量だけにするのには、事前に
>>十分な理解が必要で、そちらのほうが誤解が少ないというの
>>にはやや反論があります。

私は「運動中の物体の質量が増大する」という見方は必要ないかと思っています。 ニュートン力学ではp=mvですが、相対論ではp=mv/√[1-(v/c)^2] となっていて、運動量の定義が 異なっています。「運動量は質量×速度」というニュートン力学の考えを捨ててしまえば全て解決するというのが私の理解です。

>> 例えば、静止質量mの静止した物体に静止質量mの物体が速度2vで衝突し、
>> 一体化すると速度vで進んでいきますね。もちろん、エネルギー、運動量は
>> 保存するとします。
>> この合体物体の質量の定義を考えるとやや複雑です。静止質量こそ
>> 質量の定義ということで、座標変換し、物体同士が速さvで互いに反対方向から
>> やってきて衝突しくっついて静止する系で考えましょう。 
>> すると衝突後の物体の質量は2mにはなりませんよね。(エネルギー運動量保存から)

相対論的な問題設定だと理解して返事します。
質量は保存しませんから、合体物体の質量が2mにならないのは特に驚くべきことではないと思います。私にとってはエネルギーや運動量は保存しますが、質量は物質毎に異なるものです。左右からやってくる質量mの二つの物質が合体したものは、二つの物質が単に存在する場合とは一般に異なります。 (非相対論的な状況でおこる二物体の衝突で、衝突後二つの物体がくっつくためには、熱や光音などの何らかの形でエネルギーが外に逃げていくことが殆どだと思われます。)

>> また、無限に軽い鏡箱に閉じ込められた光の詰まった
>> 物体の質量は、光のエネルギーそのものでしょう。

はい、そうです。 しかしそれは私が言っていることと矛盾しているわけではありません。光は質量ゼロですが、光を閉じ込めた箱は全体として光のエネルギーの分だけの質量を持ちます。

>> 結局のところ エネルギー=質量 ということだけで十分であり
>> それを 質量=”静止”エネルギー とするかどうかなのですが、
>> かえって複雑なのでは。あくまでも物体に対してまで一般化するとですが。

んん・・・。納得できませんが、まあ、そういった考えで押し進めてゆけるのなら、これ以上私がとやかく言うことでもない気がしてきました。

>> 素粒子系の話になると逆で、いちいち電子やミューオンの質量を静止か
>> 運動かなんて面倒すぎます。素粒子、原子核系の人たちにとって、
>> 質量=エネルギーは常識で質量は静止質量(静止した粒子のエネルギー)
>> として使い、静止質量なんで言葉も使われなくなったのではないでしょうか。

電子の質量にいろんな答えが有ると面倒ですし、それよりもなによりも、エネルギーと運動量の関係式から

E^2 - (pc)^2

という組み合わせをつくると、それが常に一定であるということに意味を感じるかどうかなのだと思います。

まあ、どちらでも正しく理解できるなら、それは「流儀」以上のものではないのかもしれません。そういった意味では、私は、頭ごなしに間違いだとは言っていないつもりです。
記事にある私の主張の重要な部分を引用します。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
私の立場は「質量の定義は一つしかない!」というものです。質量は物質固有のものであり運動していようが静止していようが変わるものではないのです。運動すると変わるのはエネルギーであり、質量ではありません。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「私の立場」と言っていますが、それは、静止質量という言葉を使うこと自体が間違いだと言っているわけではなく、私のブログでの標準用語は以下のように統一しますよというルールの説明だと思って下さい。

お返事と物体の質量について

運動質量という言葉に対するお気持ちはよくわかりました。
私も同感なところは多く、特に厳密に定義しようとすると面倒なのは確かで、
縦質量、横質量といった、スカラー量?なのに方向に依存する?
といった混乱を招きかねませんものね。
 それでも運動中の物体の質量が増大するという”概念”は
重要で、質量とは静止質量だけにするのには、事前に
十分な理解が必要で、そちらのほうが誤解が少ないというの
にはやや反論があります。

 確かに全てを素粒子論的な場合なら、素粒子の質量だけを
定義して、あとはエネルギーのほうがすっきりするでしょう。
 でも、シンプルに物体の運動を考えるときはどうでしょう?
 
 例えば、静止質量mの静止した物体に静止質量mの物体が速度2vで衝突し、
一体化すると速度vで進んでいきますね。もちろん、エネルギー、運動量は
保存するとします。
 この合体物体の質量の定義を考えるとやや複雑です。静止質量こそ
質量の定義ということで、座標変換し、物体同士が速さvで互いに反対方向から
やってきて衝突しくっついて静止する系で考えましょう。 
 すると衝突後の物体の質量は2mにはなりませんよね。(エネルギー運動量保存から)
 また、無限に軽い鏡箱に閉じ込められた光の詰まった
物体の質量は、光のエネルギーそのものでしょう。

結局のところ エネルギー=質量 ということだけで十分であり
それを 質量=”静止”エネルギー とするかどうかなのですが、
かえって複雑なのでは。あくまでも物体に対してまで一般化するとですが。

 相対性理論は一般の物体に対しても成り立つ理論ですから、
相対論の範囲では、基本は 質量=エネルギー を念頭に臨機応変に
言葉を使い分けられているのではないでしょうか。あと、ちょっと余談ですが、
等価原理を信じるならば、重力質量=慣性質量なので、やはり相対論の
”範囲”では質量=エネルギーとしたくなります。

 素粒子系の話になると逆で、いちいち電子やミューオンの質量を静止か
運動かなんて面倒すぎます。素粒子、原子核系の人たちにとって、
質量=エネルギーは常識で質量は静止質量(静止した粒子のエネルギー)
として使い、静止質量なんで言葉も使われなくなったのではないでしょうか。

田中さんの意見に関して

まあ、間違いとは言いません。誤解を招く表現を極力減らす方が良いと思っているだけで、それに従う従わないは個人の自由です。定義は少ない方が良いわけで、ここでの議論に関係すると思われる測定量には以下の3つがあります。

① m
② M(v)=m/√[1-(v/c)^2 ]
③ E = =m/√[1-(v/c)^2 ]

です。もちろんM(v)=Eです。ではなぜ同じものに二つの名前をつけたのでしょうか、というのが私の思うところで、これは現代では必要ないでしょうというのが私の考えです。


>>私は、使われなくなったというだけで、静止質量、運動質量の概念は
>>重要で、決して間違っているものではないと思いますよ。

私は、静止質量自体は残してもいいかなと思いますが、運動質量というのは排除して
それはエネルギーと呼びたいわけです。例えば「エネルギー保存則」というのは既に定着していますが、「運動質量保存則」とは呼びたくないわけです。解決策としてあるときには運動質量と呼んで、あるときはエネルギーと呼ぶのはありえそうでsが、それも煩わしい。

>> 実際に、速度によって、物体の加速のしにくさは増大しますし、
>>こだわっておられるのは、それをなんと呼ぶかどうかですよね。
>> すくなくとも、静止質量ということばはまちがっている、使用してはいけないもの
>> というふうには、物理業界でもなってないと思いますよ。ただ、使われなく
>> なったというだけで。

わたしも、そういっています。使うなとは言っていないつもりです。ただ使われなくなった、よって人と話をするときには、同じ言葉で喋った方が良いので、使われない言葉をわざわざ持ち出す必要を感じないということです。

>> あと、じゃあ、現在の”質量”の物理的意味は?ときかれると
>> 結局は、静止状態での加速のし難さ(に比例する)パラメータに
>> なりますよね。

そうです。私がいっているのは、「運動質量」が使われなくなったので、
質量にわざわざ「静止」という修飾後を入れなくてよいでしょうということです。

まあ、言葉の問題なのでお互い通じていれば良いです。

静止質量、運動質量について

確かに現在、質量といえば静止質量の事を指すのは、常識というか、
普通そうだと思います。でも、質量のもともとの物理的意味、(まぁ、
加速のしにくさとか、)を考えると現在の質量の定義は、ちょっと
わかりにくいですよね。
 私は、使われなくなったというだけで、静止質量、運動質量の概念は
重要で、決して間違っているものではないと思いますよ。
 実際に、速度によって、物体の加速のしにくさは増大しますし、
こだわっておられるのは、それをなんと呼ぶかどうかですよね。
 すくなくとも、静止質量ということばはまちがっている、使用してはいけないもの
というふうには、物理業界でもなってないと思いますよ。ただ、使われなく
なったというだけで。
 あと、じゃあ、現在の”質量”の物理的意味は?ときかれると
結局は、静止状態での加速のし難さ(に比例する)パラメータに
なりますよね。
 

偶然もないかな・・・

>> (5)についてですが
>> 運動エネルギーは、E=(1/2)mv^2なので
>> 偶然もなにも一致してないような気がします

特殊相対性理論との関係を出さなければ、質量と運動エネルギーの定義には適当なファクターを入れる事は可能かなと思いました。 まあ言われる通りなんですが、運動エネルギーをE=mv^2で定義しましょうなんて屁理屈を言う人もいるかも?なんていう危惧もあったわけです。 一応その屁理屈はありえるかな、でもv=cの時に一致するのは偶然だよと言いたかったわけです。



(5)についてですが
運動エネルギーは、E=(1/2)mv^2なので
偶然もなにも一致してないような気がします

質量

ファインマン物理での「質量が大きくなる」という箇所ですが、確かにファインマンはそういっていますね。  ファインマン物理Iの初版が出たのは1963年、もう50年も昔なんですね。 たぶん歴史的な流れで物理学者の間でも質量という言葉が曖昧に使われていた頃だと思います。 所謂、静止質量m0(これを現代では単に「質量」と呼んで、その他の○○質量というものを導入しない流儀が一般的です)というものを導入して、《運動する物体の持つ質量mv》を

mv=m0/√(1-v^2/c^2)

で定義して、こちらの方を単に質量と呼んでいます。

これは非常に誤解をまねくし、結果として静止質量と質量という二つの用語を定義する羽目になります。ところが、エネルギーという物理量もあるわけで、この時点で(質量、静止質量、エネルギー)という3つの用語を導入するわけです。ところが質量=エネルギーだといって、結局必要な用語は二つに減ることになります。こういった回りくどい事は避けようというのが現代の風潮だと思われますし、私はその立場に賛成です。なぜなら《運動する物体の質量》などという概念は必要ありませんし、それはエネルギーと呼ぶべきものだからです。

例えば、《運動する物体の質量》という概念を用いる流儀では、この概念を光には適用できないとして、その場合はエネルギーを持ち出します。 また物体の持つ《運動する物体の質量》は光のエネルギーに変換する事が可能です。 すると、それは最初からエネルギーだと考えるのが自然で経済的な発想というものでしょう。その他にも《運動する物体の質量》という用語を嫌う理由がありますが、長くなりそうなので記事で書くことにします。

訳書第一巻初版3pです。

ファインマン物理学

ファインマン物理の何巻、第何章、何ページの何処に書いてあるのか教えもらえると嬉しいです。そのうち図書館へ行って確認します。

ファインマン物理は広く読まれている本ですが、科学といえども歴史の上に存在している以上、どんな権威のある人が書いた本であっても、不正確、間違いなどがないという保証はありません。 そういう意味では、やはり対話する、講義で先生に質問する、友人と話す、色んな本を読んで知識を確認するなどの作業が必要なのでしょうね。

ファインマンがどういう意図で質量が増えるというようなことをいったのか知りませんが、現代では質量とエネルギー運動量の関係式 E^2=m^2*c^4+p^2*c^2 というものがあって、質量mは粒子固有の定数となっています。光りはm=0の関係を満たす事が実験的にわかっているので質量はゼロ(またはその値は非常に小さい)ということが分かっています。

ファインマンの著書の中で光りの質量はどのくらいまで測定できるかというような思考実験をしていたという記憶がありますが、はっきりとは覚えていません。

ファインマン物理学の頭のほうに、
「速度が大きくなればなるほど、質量は大きくなるのである。」とあって、いよいよわけがわからなくなりました。

返事

1)質量はゼロか、有っても非常に小さい。

というのは実験的には、ゼロである事を証明するのは難しく、限りなくゼロに近いということは分かっているけど、すごく小さいが有限である可能性は排除できないという意味です。

2)質量と波又は粒子描像

どっかが粒子で、どっからが波というように白黒付けることはできないというのが量子力学の主張することです。 つまり質量があっても無くても、光を含め全てのものは波そして粒子の両方の属性を持つ。です。

3)質量や大きさがゼロであること

このことをどのように考えたらよいか、非常に難しい質問だと思います。例えば電子の大きさはゼロだと思われていますが、大きさがゼロって何?という感じですね。
ちょっと反則のような答えですが、もしも電子に大きさがあったとして、するとそれは丸、又は四角などの形を持っているわけですよね。 そこで電子を丸でイメージしましょう。表面、私たちに見える部分は球の表面ですね。 そこで、中は何か詰まっていますか? 空洞? それとも何か詰まっている? 詰まっているとしましょう。 
するとその中が詰まった電子ですが、何がつまっているんですか? 何か電子を作る素電子とでも呼ぶような物質があるのでしょう。すると、その素電子はどんな形?大きさは? という感じでこの問題は永遠に繰り返されていきます。 それはそれで良いのですが、大きさがゼロということはイメージし辛いのは確かですが、大きさがあるという場合には、それを作っている物質へと問題を転化するだけで、本質はやっぱり分からない。 お経じゃありませんが、大きさゼロというのもそう変な事でもないんでしょう・・・

とりあえず質問の解答にになっているのか、ならないのか分かりませんが、投稿します。 コメントありがとうございました。

質量の定義からいくと、光には質量はない。しかし、実験的には質量ゼロか非常にゼロに近いということなのですね。もし、実験で非常にゼロに近いが質量があるとなればどういうことになるのでしょうか。質量の定義を変化させるのか、光は別格と考えるのか、それとも?

ゼロか非常にゼロに近いとは

 さっそく返事をいただきありがとうございます。ゼロかあっても非常にゼロに近いということですが、モノはすべて質量と大きさを持つという初等的な定義は効かないのでしょうか?それとも発展的に変化させて捉えなければいけないのでしょうか?
 運動量は、速度cが大きいので質量が非常に小さい。小さいというのは理解できるのですが、ゼロというのはどう考えてよいのでしょうか?ゼロか非ゼロであるというのと、粒子でもあり波でもあるというのは異なるように思えます。それとも、場合によって質量がゼロになったり、非ゼロに変わるということなのでしょうか?もう少しだけお付き合い願えれば助かります。

私の答え

答えは、「光に質量はない」です。

まず、質量とは何か? それを定義することからはじめなくてはなりません。 
ここで大事なのは、物理における質量の定義は既に存在していて、それを勝手に変更することはできません。 物理について話すときの約束事ですから、勝手に変更したり、拡大解釈したりする事は許されません。

物理というルールに従って話すのなら、光の質量はゼロである、となります。
今のところ実験では、ゼロか非常にゼロに近いという事がわかっています。

光の質量

 質量の定義については、納得できるのですが、結局光には質量があるのかないのかについてはどのように考えたらよいのでしょうか?物なら必ず質量を持つのだからある。と考えればよいのでしょうか?間違った記述が多いとのこと。以上の件を教えてください。

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